施術者紹介

 

こんにちは、承治堂施術責任者の 糸数 昌治 (いとかず まさじ)と申します

沖縄県宜野湾市出身

昭和46年生

記憶が正しければ46歳かと

神奈川衛生学園専門学校で、鍼灸あん摩マッサージ指圧師の勉強をしました。

鍼師免許 第一五一八〇三号

灸師   第一五一五一九号

あん摩マッサージ指圧師 第一三三〇五三号

資格取得後、東京にて

訪問マッサージ

整骨院勤務

世田谷区、北京堂経堂 にて副院長、特殊刺鍼施術を担当

私事
わたしは16歳から腰痛持ちで、20歳のころには右の坐骨神経痛をわずらっていました。
その痛みは右脚がもげるのではないか?と思えるほどのもので、効果がありそうと聞けば、日本全国どこにでもいってみました。カイロ、整体、オステオパシー、AKAなどをはじめとする、各種の手技療法。
果ては、呪いや、レイキ、気功、etc…
どの療法もまったく効くことはなく、もう一生痛いのだろうとアキラメかけてすごしていたある日、急に、これはもう誰かが治せるということはないんじゃないか?
こうなったら自分で治そう。そして治せるようになったら、沖縄にその治療を持ち帰って、地元の人の痛みを解消する手伝いをする!と思い立ち、国家資格である鍼灸マッサージの学校に通うことにしました

 治療の現実
学校に入ってみると、やっぱりというか予想通りというか、学校内で私の坐骨神経痛を治せる腕を持った人は、残念ながらみあたりませんでした。
そこで、自分の身体の仕組みを知るために、あいかわらず学外で治療を受けたりした中で、ある健身体操を教えてくれる方に縁があり、そこで運動を中心とした療法を続けながら、多種多様な技術を受けて、少なくとも坐骨神経痛に効果があった
(ここでいう効果とは一週間ほどは痛みがやわらぐことです)
のは、北京堂浅野式の深い鍼と、巨鍼とよばれるもの、そして続けていた運動療法の三つだけでした。
当時、北京道の浅野先生は東京の仙川というところで開業されており、私は神奈川県の小田原市というところで学校に通っていたため、効果があると感じても、現実的に通うことは困難でした。

 治った日
卒業後、東京と鍼灸マッサージ師の仕事の現実をみてみようと、バイクで患者さんの家をまわる、訪問マッサージの会社に就職しました。
坐骨神経痛はあいかわらずでしたが、ほんの数分は痛みを感じないときもでてきたころ、ある日患者さんのマッサージを終えた帰り道、いままでにないくらいの激痛がはしりました。
あまりに足が痛く、もう半ばヤケになったときに
ふと、「ああ、もしもうこの足がこんななら、こんな足もう要らない、麻痺して動かなくなるなら、もうそれでもよい」と心底思ったときに
痛みが消えたのです。それと同時に、「ああ、治った」ということが分かり、なぜその痛みがながく続いていたのか?ということも理解できました。

身体におこったことをよくよく分析してみると、それは純粋に筋肉の話だったのですが、そこに導く運動療法はかなりシビアなもので、なんとかこの結果と同じような効果を患者さんに出せる、痛みを治す方法はないか?
と考えをめぐらせたときに、思い当たったのが、北京堂の鍼でした。
そして、浅野先生の本を読み、腰痛の友人をつかまえて試させてもらったところ、思ったよりも短期間に改善がみられたのに驚き「これは一度きちんと習っておくべきだと思い、浅野先生の同郷の同級生の友人の助けをかりて、ともに見学をお願いして、技術を学ぶことができました。
見学期間中、自宅で同じ見学の友人と鍼を刺しあったり、浅野先生の代診をしたりの中で
「まぁ、もう大丈夫でしょ」
というお言葉で、その友人とともに北京堂経堂を開業し、治すための治療、圧倒的に効果を出すためにはどうするか?ということを日々考える生活を送りました。

(そのときの友人は、現在 島根県にて 北京堂 松江 をひきついでいます)

修業の日々の経験から、治るのだなという実感は得ていますが
わたしがそうだったように、諦めてしまう気持ちというのはよくわかります。
私は本当に効果のある治療技術の一端を持ち帰ったという自負がありますが、それとて目の前に患者さんが来ていただかないとどうしようもありません。

あなたが活き活きと、自由に休日にショッピングをしたり、スポーツをしたり、痛みに煩わされない

ハッピーな日常を取り戻すお手伝いをさせていただけたらと思っています。

もちろんすべての症例に一回で百発百中とはいかず

効果がぱっとしないときもありますが

受けようかどうか悩むのであれば、それは受けてみないと答えはでません

ただ、自分の経験上これだけはハッキリ言えます

鍼灸治療は適切に行えば、本当に効きます

あなたの症状の軽減のサポートをお手伝いできたらと願っております